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ナイアガラに焼け石

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「無いよりはマシだけど明らかに足りない」状態ほど質の悪いものはない。しかしながら注意していてもこれに出くわすこと、または自らがこれに陥ることがままある。

塩気の足りない焼き鳥、中途半端に砂糖を入れたコーヒー、カツオや昆布をケチったダシ、等々、どれもこれも「水っぽさ」が最初にやってきて、がっかりする。水を飲んでも水っぽいと思うことはないのに、素材に中途半端に味がつくと途端に、後味の悪さを感じるのが不思議である。自説はこうである。塩気や甘みは、たとえ足りてなくても食べ物の匂いには影響しない。たいてい調理直後の料理はおいしそうな匂いがしているものである。これに鼻が反応して、だいたいこれくらいの味だろうという予想を立てて唾液を口に溜め込む。一口目、足りない塩気や甘みは唾液に圧倒され押し流される。味のない素材と、余った唾液が口に残る。→水っぽい というからくりである。

多少は脳が情報を補完しようとコンマ数秒くらいはがんばるだろうが、体は正直というから、ここはたとえがんばって自分が披露した食事だろうと認めなければならないときは認めねば男は立たないだろう。味付けはチキンレースなんである。

焼き鳥と躾

 

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世のお母さんたちはどうやって子をなだめあしらう術を身に着けていくのだろうか。

客は七輪を前に、いわゆる焼肉スタイルで、鶏肉を供するすこし珍しい店であった。まだ塩が粒だっている様子、タレと肉のなじみぐあいを見るにつけ、厨房では大将が一皿ずつ肉を大事に味付けし盛り付けているであろうことがわかる。

鮮度のよい鶏肉は水分が失われていないので、火の通りが柔らかく、ふんわりさっくりとした噛みごたえが楽しい。レバーも爽やかな香りで甘さが勝つほろ苦味が心地よい。たまり醤油のような黒さのタレは、勝手な印象だが関東風か。すがすがしくあとをひかない塩辛み。江戸っ子は食べ物に余韻を求めないのかもしれないと思った。

さてここの店で給仕をされるのは皆お母さんくらいのご婦人方だ。そこまで広くはない店内で、テンポよく席を詰めさせ、余計な荷物をまとめさせる。おすすめメニューをちゃっかり入れ込みながらも、食べる量を気遣ってくれたりもし、2時間きっかりに退席をせまる。平日の朝食時のごとく、お母さんたちはてきぱきと客たちを捌く。

きっと、聞き分けの悪い客にはちゃんと叱ってくれるに違いない。そんな安心感。

やがて満腹となり、いってらっしゃいと言われた気がして店を出た。

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鬼亭 渋谷

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13003491/

大根が煮上がって春

 

 

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これがこの冬最後のおでんだ、と思いながら大根の端を箸でさくっと割る。味がしみていながら、断面が切りたてのようにまっすぐした大根に出会えることは冬の幸せの一つである。

そんな大根は、実にお行儀よくすとん、と箸が入ることを知っているので、こちらもいつもより箸を行儀よく持つ気持ちになったりもする。

同様のことは他の物にも感じる。肉、魚、野菜、ていねいに扱われて盛り付けられたものはだいたい何でも角がすっきりとしている。押しつぶされたような感じや、ぐたっとダレた感じがない。

さすがに汁物には角もなにもないだろうと思ったけれど、雑な扱いを受けているとたとえ汁物でも椀や器のフチや内側にに飛び散った汁がついていたり拭き取ったような痕が見えるように残っていたりするんである。まだ熱々で湯気が立ってでもいればうまそうにも見えるものの、扱いが悪いのでぬるくて湯気もなかったりする。お行儀のいい汁物は角ではなくて「弧」がすっきりしているといえる気がする。

 

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渋谷 おいちゃん

https://www.facebook.com/kushimotsuoichan/

(気持ちが)若返り系ランチ

素直に目の前の食べ物を、心から楽しんで食べることができたのは何歳までだっただろうか。ただただ、好物をお腹いっぱい詰め込んだ幼少時代。それは無垢がもたらす幸せであった。

やがて、認識できる世界が広がる。知見があってこそ、より味わい深いものに出会うことももちろん増えたが、ネット上にはびこる見えない他人の評価や、売り手の都合に作り上げられた物語に味覚が左右されてしまうことのほうが、自分は増えているのではないかと反省する。食事は理屈で味わうものではない、そうは思っていても、これが成熟した大人として残りの人生を楽しむために理解すべきわきまえなのかと悶え、今日もスマホの画面をぺたぺたと触るのであった。

そんな自分も、この日時間を忘れて腹に詰め込んだものがあった。そのことに嬉しくなった。徹底して一口大にカットされたハラミが敷き詰められた丼、みっちりと詰め込まれたご飯。いかにも飯が余りそうな予感が訪れる。しかしそれは杞憂で、発酵調味料系の香りが甘酸っぱさとあいまったタレと、香ばしく焼かれた肉の力を知る。いくら食べ進めても肉が足りないと感じさせない。それどころか硬めの白飯が、タレの味わいで野菜のように軽やかなのだった。幸せに、ひたすら目の前の肉と飯を胃に詰め込んだ。

白飯だけで450g以上はあっただろう。米だけでカロリーにして700kcalはあるに違いない。肉も含めると、今の自分には完全にトゥーマッチの熱量だ。しかし後悔はない。食事は理屈で味わうものではないのだから。

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焼肉丼 十番

三ノ宮店-おしながき|神戸市中央区にある焼肉丼・焼肉定食の専門店、十番。

脂・糖でトリップ

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あんことバターの組み合わせが好きである。バターの部分はホイップでも練乳でもいい。乳脂肪と砂糖とあずきの相性は、味も香りも色合いもあらゆる点で世に語られる相性の平均値を超えているという確信がある。

その佇まいの魅力は、決してぴちぴちとした若々しさではない。セクシーではあるが、露出は少ない。きれいとか美人なタイプではないけど、一度そっちを向いてしまうと目が離せない。そんな出会いは一生を通してそうそうない。

さて、この2年ほど弁当生活をつづけて気づいたことがある。昼飯は、店でお腹いっぱい食べると、不思議と店を出たあとにもう少し何かを食べてもいいかという気持ちになる。弁当でほどほどの量を食べただけだと、そんな気持ちは沸かない。

量に問題が潜んでいるとにらんでいる。人間の胃は伸縮性に富む。実際に胃を見たことがあるわけではないが、食べれば食べるほど、袋は下に伸びながら沈んでいることだろう。するとどうか。伸びたぶんだけ表面積が広がっていると考えるのが自然だろう。すなわち、まだ食べ物を詰め込めるのである。これが腹いっぱい食べたあとにまだ物足りなさを感じるからくりである。多くの中年はこのすき間のことを能天気に「別腹」なんて呼べるほどもう若くないことを、もう着れなくなった服の数から知る。

反して、弁当である。自分はあまり荷物を持ちたくない意向から大きな弁当箱は持ってこない。

白飯など詰められてもせいぜい120-130gくらいだろう。外食すれば少なくとも茶碗に200g、丼系やカレーなら並で250g~の白飯が盛られているだろうから、それだけでもぼちぼち胃が沈みこむであろうことが想像される。やよい軒でおかわりなど何をか言わんや、である。もちろんそれだけのご飯がすすむほどの味の濃さも相まっての結果だ。

 

とはいえ、外出が続く一日だと弁当も食べる場所に苦慮するだけであるから、おのずと外食を選ぶこともある。

弁当生活で健康ぶっている自分も好きだが外で食べるならしっかり食べたくなる自分も好きなので食べる量には遠慮しない。するとそんな日は私も当然、胃が伸びる。

食べ過ぎがもたらすものにろくなものがない、と理解はしていても、ちょっとコンビニに寄ってデザートの棚を見てしまったりする。街場のパン屋なんかも好きなので覗いてしまったりする。とはいえ、実際には見ている間に我に返ってコーヒーや炭酸水だけを買って出たりするが。

しかしそこで、冒頭の組み合わせを見てしまう日がある。そんなに珍しいものでもないのに、次いつ会えるかわからない、等と思ってしまったりする。もう論理ではなく直感で、衝き動かされる自分を制することができない。あん食で練乳クリームをはさんだこのサンドイッチは、少なく見積もっても330kcalはくだらないだろう。この日の昼は、ハラミ焼肉丼の大盛りであったのにだ。

満腹にもかかわらず、デザートや菓子パンに手を伸ばすとき、そこではいやらしく絡み合ったあんことバターが静かにこっちを見ていたりするのである。

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三宮 トミーズ

「あん食」のトミーズ | オリジナルパンの通信販売 | 兵庫県神戸市 | 店舗紹介

いま、食いにゆきます

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好きなミュージシャンのプレイリストを作るような気分で食べたいメニューを選んでいる。じっくり聴き込みたいもの、BGMに流したいもの、旅行先や移動中などの場所、季節や時間に合わせたいもの。また、一人で聴くためなのか、一緒に誰かと聴くものなのか、広い場所で大勢に流すものなのか。ときによっては、フェスで好みのミュージシャンのライブをどうはしごするかを考えるような楽しみでもある。選ぶ人間が複数いるのは、セッション的要素かもしれない。そして料理人がコース料理を考える気分は逆に、アルバムの曲順やライブのセットリストを考えるミュージシャンの気分かもしれない。そんな組み合わせをわくわくしながら組み立てる喜びが音楽と食には共通してある。

歳を取って変わる嗜好もあれば変わらないこだわりがあり、かつての青い衝動をときに思い出すこともあれば、今も人知れず熱い気持ちで向き合うことがある。ステージに立つ側を選ぶ者もいる。もちろんそれらの影に多くの失敗や後悔もある。ひっくるめた体験を愛することができたものを、一生をかけた趣味や仕事にしていくような気がしている。しかし度を過ぎるとみるみる太るという点で食は少し不利かもしれない。

大阪でずっと行きたかった店に訪れる機会があった。いつも地場でしか活動していない憧れのバンドのライブを観に行けた気分を存分に楽しんだ夜。

 

(食)ましか 肥後橋

http://mashica-higobashi.com/

錯視と小銭

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卵の個数差で人はどこまでお金を出せるのか。カツをとじる卵の個数で価格が変わるカツ丼は初めて出会った。卵が増えることで丼の上にもたらされる幸せが、ぱっと思いつかなかったが、その字面に脳と体が反応し、「並盛り卵二個+赤だし」を注文してしまったのだった。

ちなみにカツ丼にかぎらず、卵とじは卵の量が多い方が仕上げが楽である。さらに卵とじについて述べるとする。卵を入れてから小刻みに揺らすと鍋にくっつきにくくなる。だが、つゆが濁って美しくないというデメリットがある。あまり丁寧に卵を溶くとふんわり感がなくなると言われている。ちょっと割ったくらいで溶かずに卵を入れると白と黄色のコントラストがはっきりして美しい。が、きれいに仕上げるのが難しかったりする。

券売機についてここで考える。おじさんが多い店で売上を上げるのが券売機である。

年々視力が劣化しているおじさんにとって、細かなボタンで数々ラインナップされた券売機の前に、すぐ後ろに行列ができがちな昼時に立つことほど焦ることはそうそうない。つまりおのずと券売機の左上のほう、または他より大きいボタンで主張されているボタンのメニューを押しがちである。そして大抵、そういうボタンはおすすめと言う名の単価アップメニューである。

そうなのだ。字面がよかったなどと、偉そうなことをよくも言えたものだ。自分が押した「並盛り卵二個+赤だし」は、一番上の真ん中にある他より大きなボタンであった。それを選択した理由が、ただの「並盛り卵一個」が券売機から見つけられなかったせいなのかどうかは、今はもう思い出さないでいたい。

 

株式会社 吉兵衛 | 神戸三宮発の老舗かつ丼専門店 かつどん・よしべい