肉汁のやり場に困れ

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せっかく水気をしっかり含んだいい肉だったのに、切るタイミングを間違えたようで、カットした瞬間肉汁が流れ出してしまった。

焼き固めてじっくり加熱した赤身肉は風船のように張ってくる。こういった場合は無理にステーキにせず冷まして薄くスライスしてもよかった。ステーキにするならもっとサクッと短く焼いてレアにしようと反省。

文頭にも述べたが肉が含んでいる水分というのが実に肝要で、水分の多い少ないでおいしさが変わるというか、おいしく焼けるかどうかが変わる。肉の断面から内側までしっとりしていれば多少乱暴に焼いても均一に火が通る。逆に乾燥がすすんでいると火が通りきるまでの時間を稼ぐことができないので、パサパサになりがちである。霜降りの肉より赤身のほうが肉本来の味が~とはいうものの、上手に焼けていない赤身は噛むだけでしんどい。霜降りは多少乾燥がすすんでようと、脂のおかげで柔らかくしっとりと感じる。せっかくたまに自宅でステーキを、というなら霜降りをそれなりに含むものを選んだほうがやはりいいだろう。もしくはヒレ肉を選ぶか。

切り身で売られているステーキ肉はやはり表面が乾いていることが多いだろうから、できれば精肉売り場で重さを指定してスライスしたてを持って帰るのがベター。

粉物ローカライゼーション

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流行とは対象が本来広く持ち合わせる多様性を否定する現象でもある。讃岐うどんが流行ったときに我々は歯ごたえのないうどんはうどんではないかのように振る舞ったではないか。

ラーメンとて、博多とんこつの細麺が流行れば、とんこつに関係のないラーメン屋でも太さに関係なくとりあえず固め、もしくはバリカタといっておけば格好がつくと思い、粉臭い麺をもそもそと頬張っていた向きも少なからずあったろうと思う。

しかし世を追うごとに、自分がいかにメディアからの情報を整理して理解した気になっていたか、我が舌が味覚を以て思い知らせてくるのである。

宮崎うどんの釜揚げは、箸で持ち上げて何とか千切れずにいる、といったふるふると頼りない佇まいである。しかし、つゆをくぐらせ口へ運ぶとそのはかない食感が舌を優しく包み込む。どれだけ柔らかく煮たおかゆでも、宮崎うどんの優しさにはかなわない。質量の軽さと柔らかさがつゆの塩気を絶妙に和らげて口いっぱいに広がる感覚は、本来液体であるはずのつゆが、半固形となって出汁の旨み甘みを伝えに来るように感じる。

山梨は富士吉田のうどん。このうどんは反対に、凶暴な歯ごたえに満ちている。風邪を引いた子供を連れて現地の医者にかかっても、消化にいいからうどんをあげなさいとは言われないだろう。なぜなら吉田のうどんはいくら長く茹でても柔らかくなりようがない。みしっ、と歯が沈むその歯ごたえは噛むほどに香り立つ匂いに小麦粉の底力を感じる。つゆの味は表面にしか乗らない。しかしうどん自体にも丁度よい塩気がついているから本来味がないはずのうどんが噛むだけでその甘さや風味が口に広がってきて心地よいのである。

全国区に知れ渡って天下を目指すもよし、地元に帰ってローカルの重鎮になるもよし。

暇でもないのに暇潰し

自分だけかもしれないがGW期間といえばなぜか、毎年、猛烈に「新しいこと」に触れたくなるのが風物詩だ。だいたいは音楽、本、習慣、などである。そもそもGWにまとまった連休を取ることがないので毎年出勤が基本、しかし天気もよく、人混みのストレスもない中で揺られていると、不思議と前向きが過ぎて前のめったような気分が芽生えてくる。

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いつもは開かないAppStoreを開いて語学系やらライフログ系やらのアプリのレビューを読んでみたり、名前だけ知ってて聴いてこなかったバンドや普段は絶対聴かないジャンルの代表曲を漁ってみたり、なんとなく知的な気分になれそうな本をKindleで検索して購入してしまったりする。そうやって全く聴かなくなったアルバムや電子書籍やアプリがライブラリに毎年溜まっていく。そういう出会い方をしているから別れ際も忍びないものだ。アルバムは後日ストレージ不足問題にぶつかったとき真っ先に消される。アプリは久しぶりに開くと登録したPWがわからなくなっているので、そのままぶるぶる震わされて×ボタンを押されるまでが定番の流れ。

今年はなぜか猛烈に炭火焼きにチャレンジしたくなり七輪と炭をポチった。えらいものでキャンプ需要があるのか、早朝にさっきまで在庫あり明日着可だった七輪が購入画面にすすんだとたん5月9日以降の着になっていたりした。

一年にこの時期だけ気持ちに火がつくのも不思議なものだが、願わくば一度固めた意志は一生続く習慣にしたいものである。

 

仙川 kohuku

http://kohuku.jp/

ナイアガラに焼け石

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「無いよりはマシだけど明らかに足りない」状態ほど質の悪いものはない。しかしながら注意していてもこれに出くわすこと、または自らがこれに陥ることがままある。

塩気の足りない焼き鳥、中途半端に砂糖を入れたコーヒー、カツオや昆布をケチったダシ、等々、どれもこれも「水っぽさ」が最初にやってきて、がっかりする。水を飲んでも水っぽいと思うことはないのに、素材に中途半端に味がつくと途端に、後味の悪さを感じるのが不思議である。自説はこうである。塩気や甘みは、たとえ足りてなくても食べ物の匂いには影響しない。たいてい調理直後の料理はおいしそうな匂いがしているものである。これに鼻が反応して、だいたいこれくらいの味だろうという予想を立てて唾液を口に溜め込む。一口目、足りない塩気や甘みは唾液に圧倒され押し流される。味のない素材と、余った唾液が口に残る。→水っぽい というからくりである。

多少は脳が情報を補完しようとコンマ数秒くらいはがんばるだろうが、体は正直というから、ここはたとえがんばって自分が披露した食事だろうと認めなければならないときは認めねば男は立たないだろう。味付けはチキンレースなんである。

焼き鳥と躾

 

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世のお母さんたちはどうやって子をなだめあしらう術を身に着けていくのだろうか。

客は七輪を前に、いわゆる焼肉スタイルで、鶏肉を供するすこし珍しい店であった。まだ塩が粒だっている様子、タレと肉のなじみぐあいを見るにつけ、厨房では大将が一皿ずつ肉を大事に味付けし盛り付けているであろうことがわかる。

鮮度のよい鶏肉は水分が失われていないので、火の通りが柔らかく、ふんわりさっくりとした噛みごたえが楽しい。レバーも爽やかな香りで甘さが勝つほろ苦味が心地よい。たまり醤油のような黒さのタレは、勝手な印象だが関東風か。すがすがしくあとをひかない塩辛み。江戸っ子は食べ物に余韻を求めないのかもしれないと思った。

さてここの店で給仕をされるのは皆お母さんくらいのご婦人方だ。そこまで広くはない店内で、テンポよく席を詰めさせ、余計な荷物をまとめさせる。おすすめメニューをちゃっかり入れ込みながらも、食べる量を気遣ってくれたりもし、2時間きっかりに退席をせまる。平日の朝食時のごとく、お母さんたちはてきぱきと客たちを捌く。

きっと、聞き分けの悪い客にはちゃんと叱ってくれるに違いない。そんな安心感。

やがて満腹となり、いってらっしゃいと言われた気がして店を出た。

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鬼亭 渋谷

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13003491/

大根が煮上がって春

 

 

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これがこの冬最後のおでんだ、と思いながら大根の端を箸でさくっと割る。味がしみていながら、断面が切りたてのようにまっすぐした大根に出会えることは冬の幸せの一つである。

そんな大根は、実にお行儀よくすとん、と箸が入ることを知っているので、こちらもいつもより箸を行儀よく持つ気持ちになったりもする。

同様のことは他の物にも感じる。肉、魚、野菜、ていねいに扱われて盛り付けられたものはだいたい何でも角がすっきりとしている。押しつぶされたような感じや、ぐたっとダレた感じがない。

さすがに汁物には角もなにもないだろうと思ったけれど、雑な扱いを受けているとたとえ汁物でも椀や器のフチや内側にに飛び散った汁がついていたり拭き取ったような痕が見えるように残っていたりするんである。まだ熱々で湯気が立ってでもいればうまそうにも見えるものの、扱いが悪いのでぬるくて湯気もなかったりする。お行儀のいい汁物は角ではなくて「弧」がすっきりしているといえる気がする。

 

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渋谷 おいちゃん

https://www.facebook.com/kushimotsuoichan/

(気持ちが)若返り系ランチ

素直に目の前の食べ物を、心から楽しんで食べることができたのは何歳までだっただろうか。ただただ、好物をお腹いっぱい詰め込んだ幼少時代。それは無垢がもたらす幸せであった。

やがて、認識できる世界が広がる。知見があってこそ、より味わい深いものに出会うことももちろん増えたが、ネット上にはびこる見えない他人の評価や、売り手の都合に作り上げられた物語に味覚が左右されてしまうことのほうが、自分は増えているのではないかと反省する。食事は理屈で味わうものではない、そうは思っていても、これが成熟した大人として残りの人生を楽しむために理解すべきわきまえなのかと悶え、今日もスマホの画面をぺたぺたと触るのであった。

そんな自分も、この日時間を忘れて腹に詰め込んだものがあった。そのことに嬉しくなった。徹底して一口大にカットされたハラミが敷き詰められた丼、みっちりと詰め込まれたご飯。いかにも飯が余りそうな予感が訪れる。しかしそれは杞憂で、発酵調味料系の香りが甘酸っぱさとあいまったタレと、香ばしく焼かれた肉の力を知る。いくら食べ進めても肉が足りないと感じさせない。それどころか硬めの白飯が、タレの味わいで野菜のように軽やかなのだった。幸せに、ひたすら目の前の肉と飯を胃に詰め込んだ。

白飯だけで450g以上はあっただろう。米だけでカロリーにして700kcalはあるに違いない。肉も含めると、今の自分には完全にトゥーマッチの熱量だ。しかし後悔はない。食事は理屈で味わうものではないのだから。

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焼肉丼 十番

三ノ宮店-おしながき|神戸市中央区にある焼肉丼・焼肉定食の専門店、十番。