鍋が取りもつ色濃い沙汰

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1時間、2時間と煮込んで煮込んで、なかなか柔らかくならない肉が、ちょっと目を離したすきに、柔らかくなっている。その瞬間、急にその肉のことが愛おしく感じられてくるから不思議である。さっきまでは、よそよそしいほどの弾力で箸を払われていたのが、いつしかすっと箸を受け入れてくれるようになる。なんとなく青春の1ページのようでもある。

肉の繊維を結びつけているのはコラーゲンで、いわば筋肉やらがその形を保つように、しなりがありつつ強度がある物質として支えている。ちょこっと煮たり焼いたりするだけでは熱でタンパク質が縮む=筋肉がぎゅっと引き締まるので当然もともと固いコラーゲンはよりいっそう固くなり、噛み切れない代物になる。このコラーゲン的なものを、じっくり長い時間かけて加熱することでそのつながりをほぐすことが柔らかく煮込むということになる。

身近に素材の加熱ができるのは、水か油か火である。味をつけながら長時間加熱し、なおかつ素材の水分を残すには水がもっともふさわしかろうというのをきっとご先祖様がいろんな失敗のすえに見つけて言い残してくれたのだろう。そして今や一口に煮るといっても、たくさんの手順があるものである。

直接味を入れて煮始める方法、まず下茹でする方法、下茹でに糠や唐辛子やらの助材を入れる方法、煮る前に焼き固める・炒める方法、等々。

素材に合わせて方法は無限にありそうで悩ましいが、おいしく煮るために共通しているのは、煮て火を通したら一度冷まして味を含ませるということのようだ。先人の知恵に感謝して今日もコンロに火をつける。

 

さて、豚の角煮というのは注文すると大体高い割にボリュームがないと憤慨される諸氏も多いのではないか。あれは、柔らかくなるまで煮込む時間がただでさえ長いうえに、そこから冷まして味を入れたりまた温めたりと手間がかかるしその間柔らかくなった肉がいくつかは崩れて商品にならなかったりするので、ガス代やら手間やら歩留まりの問題でどうしても売価に跳ね返って来やすいものなのである。

もしくは、長い時間かけて振り向いてくれた相手を簡単には手放したくないのかもしれない。

この夏いちばん熱い油脂

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夜こそ揚げ物が食べたい。近年糖質制限というキーワードで油より炭水化物が悪者にされがちだが、重量あたりのカロリーでいえば油は炭水化物の倍なんである。ぶっちぎりだ。

 

なぜ揚げ物は油でないといけないのか。水で揚げ物はできないのか。揚げ物とは高温の液体で食材を包み込みまんべんなく急速な加熱を行う調理法である。そのおかげで食材の表面はカリッと香ばしくなる。その最適温度はだいたい160-190℃だ。沸騰して無くなる水と違い、この調理に向いている液体が結局油しかないのである。

油に包み込まれているぶん、食材はその表面から油を多かれ少なかれ吸い込む。この吸油量というのは実は正確に算出するのが大いにむずかしい。揚げる温度が高いと吸い込みが抑えられるが、低いと火が通るまでだらだらと吸い込む。だいたい普通に調理してフライ物の吸油は20%ほどと言われているらしい。

例として、家庭でカキフライを食べるとしよう。カキフライなら一人あたり5個くらいは食べるとして4人家族で20個。カキフライ1粒がだいたい15gくらいとすると300g。カキフライ300g揚げて20%=60gの油=480kcalが衣に吸われていることになり、一人あたり15g約大さじ一杯の油=120kcalを、揚げ物を楽しむ代償として摂取していることになる。カキ一個が15kcalくらいでパン粉をつけて約25kcalくらい、油で揚げなければ5個で125kcalで済むところを15gの油が足されて245kcal。さらにタルタルソース(スプーン1杯約80kcal)もかけるとなると?だがこうやっておいしくして食べているのである。

しかし、油は食材の影響で温度が下がるから、一度にどれくらい食材を入れたかでその吸油率はおおきく変動する。家庭用の揚げ物鍋でだいたい1リットルからもうちょっとくらい。食材を一度に油に投入するとまず温度が一気に下がる。

揚げ物は揚げ時間も目安だが、やはり箸でさわってみてカリッとするまで揚げたいもの。しかし一度下がった油の温度は上がりにくいので必然的にダラダラと、油の中で火を通すことになる。油がどんどん吸われていく。

 

普通に調理しても、食材と同じくらいのカロリーをプラスして食べているのに、低い温度で長時間揚げる羽目になるとその吸油量はいわずもがな増えていく。カロリーはもう計算したくない。

家庭では、油面いっぱいにカキフライを入れることはやめて、面倒でも5,6個ずつくらいで揚げていただこう。

 

水を、160℃くらいまで沸騰せず温度を上げることはできないのか?そうすればカロリーゼロの液体で加熱だけができるではないか。サクサクの揚げ物を夢の食べ放題である。

水の沸点を160℃くらいまで上げるには、6気圧必要らしい。6気圧を体験するには自分が調べた限り、水深50mまで潜ることが一番手っ取り早いようだ。水中で着火する方法を模索する必要が出てきた。もう諦めて油を摂取しようと思う。

肉汁のやり場に困れ

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せっかく水気をしっかり含んだいい肉だったのに、切るタイミングを間違えたようで、カットした瞬間肉汁が流れ出してしまった。

焼き固めてじっくり加熱した赤身肉は風船のように張ってくる。こういった場合は無理にステーキにせず冷まして薄くスライスしてもよかった。ステーキにするならもっとサクッと短く焼いてレアにしようと反省。

文頭にも述べたが肉が含んでいる水分というのが実に肝要で、水分の多い少ないでおいしさが変わるというか、おいしく焼けるかどうかが変わる。肉の断面から内側までしっとりしていれば多少乱暴に焼いても均一に火が通る。逆に乾燥がすすんでいると火が通りきるまでの時間を稼ぐことができないので、パサパサになりがちである。霜降りの肉より赤身のほうが肉本来の味が~とはいうものの、上手に焼けていない赤身は噛むだけでしんどい。霜降りは多少乾燥がすすんでようと、脂のおかげで柔らかくしっとりと感じる。せっかくたまに自宅でステーキを、というなら霜降りをそれなりに含むものを選んだほうがやはりいいだろう。もしくはヒレ肉を選ぶか。

切り身で売られているステーキ肉はやはり表面が乾いていることが多いだろうから、できれば精肉売り場で重さを指定してスライスしたてを持って帰るのがベター。

粉物ローカライゼーション

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流行とは対象が本来広く持ち合わせる多様性を否定する現象でもある。讃岐うどんが流行ったときに我々は歯ごたえのないうどんはうどんではないかのように振る舞ったではないか。

ラーメンとて、博多とんこつの細麺が流行れば、とんこつに関係のないラーメン屋でも太さに関係なくとりあえず固め、もしくはバリカタといっておけば格好がつくと思い、粉臭い麺をもそもそと頬張っていた向きも少なからずあったろうと思う。

しかし世を追うごとに、自分がいかにメディアからの情報を整理して理解した気になっていたか、我が舌が味覚を以て思い知らせてくるのである。

宮崎うどんの釜揚げは、箸で持ち上げて何とか千切れずにいる、といったふるふると頼りない佇まいである。しかし、つゆをくぐらせ口へ運ぶとそのはかない食感が舌を優しく包み込む。どれだけ柔らかく煮たおかゆでも、宮崎うどんの優しさにはかなわない。質量の軽さと柔らかさがつゆの塩気を絶妙に和らげて口いっぱいに広がる感覚は、本来液体であるはずのつゆが、半固形となって出汁の旨み甘みを伝えに来るように感じる。

山梨は富士吉田のうどん。このうどんは反対に、凶暴な歯ごたえに満ちている。風邪を引いた子供を連れて現地の医者にかかっても、消化にいいからうどんをあげなさいとは言われないだろう。なぜなら吉田のうどんはいくら長く茹でても柔らかくなりようがない。みしっ、と歯が沈むその歯ごたえは噛むほどに香り立つ匂いに小麦粉の底力を感じる。つゆの味は表面にしか乗らない。しかしうどん自体にも丁度よい塩気がついているから本来味がないはずのうどんが噛むだけでその甘さや風味が口に広がってきて心地よいのである。

全国区に知れ渡って天下を目指すもよし、地元に帰ってローカルの重鎮になるもよし。

暇でもないのに暇潰し

自分だけかもしれないがGW期間といえばなぜか、毎年、猛烈に「新しいこと」に触れたくなるのが風物詩だ。だいたいは音楽、本、習慣、などである。そもそもGWにまとまった連休を取ることがないので毎年出勤が基本、しかし天気もよく、人混みのストレスもない中で揺られていると、不思議と前向きが過ぎて前のめったような気分が芽生えてくる。

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いつもは開かないAppStoreを開いて語学系やらライフログ系やらのアプリのレビューを読んでみたり、名前だけ知ってて聴いてこなかったバンドや普段は絶対聴かないジャンルの代表曲を漁ってみたり、なんとなく知的な気分になれそうな本をKindleで検索して購入してしまったりする。そうやって全く聴かなくなったアルバムや電子書籍やアプリがライブラリに毎年溜まっていく。そういう出会い方をしているから別れ際も忍びないものだ。アルバムは後日ストレージ不足問題にぶつかったとき真っ先に消される。アプリは久しぶりに開くと登録したPWがわからなくなっているので、そのままぶるぶる震わされて×ボタンを押されるまでが定番の流れ。

今年はなぜか猛烈に炭火焼きにチャレンジしたくなり七輪と炭をポチった。えらいものでキャンプ需要があるのか、早朝にさっきまで在庫あり明日着可だった七輪が購入画面にすすんだとたん5月9日以降の着になっていたりした。

一年にこの時期だけ気持ちに火がつくのも不思議なものだが、願わくば一度固めた意志は一生続く習慣にしたいものである。

 

仙川 kohuku

http://kohuku.jp/

ナイアガラに焼け石

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「無いよりはマシだけど明らかに足りない」状態ほど質の悪いものはない。しかしながら注意していてもこれに出くわすこと、または自らがこれに陥ることがままある。

塩気の足りない焼き鳥、中途半端に砂糖を入れたコーヒー、カツオや昆布をケチったダシ、等々、どれもこれも「水っぽさ」が最初にやってきて、がっかりする。水を飲んでも水っぽいと思うことはないのに、素材に中途半端に味がつくと途端に、後味の悪さを感じるのが不思議である。自説はこうである。塩気や甘みは、たとえ足りてなくても食べ物の匂いには影響しない。たいてい調理直後の料理はおいしそうな匂いがしているものである。これに鼻が反応して、だいたいこれくらいの味だろうという予想を立てて唾液を口に溜め込む。一口目、足りない塩気や甘みは唾液に圧倒され押し流される。味のない素材と、余った唾液が口に残る。→水っぽい というからくりである。

多少は脳が情報を補完しようとコンマ数秒くらいはがんばるだろうが、体は正直というから、ここはたとえがんばって自分が披露した食事だろうと認めなければならないときは認めねば男は立たないだろう。味付けはチキンレースなんである。

焼き鳥と躾

 

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世のお母さんたちはどうやって子をなだめあしらう術を身に着けていくのだろうか。

客は七輪を前に、いわゆる焼肉スタイルで、鶏肉を供するすこし珍しい店であった。まだ塩が粒だっている様子、タレと肉のなじみぐあいを見るにつけ、厨房では大将が一皿ずつ肉を大事に味付けし盛り付けているであろうことがわかる。

鮮度のよい鶏肉は水分が失われていないので、火の通りが柔らかく、ふんわりさっくりとした噛みごたえが楽しい。レバーも爽やかな香りで甘さが勝つほろ苦味が心地よい。たまり醤油のような黒さのタレは、勝手な印象だが関東風か。すがすがしくあとをひかない塩辛み。江戸っ子は食べ物に余韻を求めないのかもしれないと思った。

さてここの店で給仕をされるのは皆お母さんくらいのご婦人方だ。そこまで広くはない店内で、テンポよく席を詰めさせ、余計な荷物をまとめさせる。おすすめメニューをちゃっかり入れ込みながらも、食べる量を気遣ってくれたりもし、2時間きっかりに退席をせまる。平日の朝食時のごとく、お母さんたちはてきぱきと客たちを捌く。

きっと、聞き分けの悪い客にはちゃんと叱ってくれるに違いない。そんな安心感。

やがて満腹となり、いってらっしゃいと言われた気がして店を出た。

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鬼亭 渋谷

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13003491/