0.5坪の懺悔室

高幡そば 明大前

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一家で胃腸炎に罹った。自分は特に、胃の責め苦を負った。健常時にはあれほど魅力的に思えたあらゆる食べ物のことを、思い浮かべるだけで絞り上げられるような吐き気と痛みが苛んでくる。便器に顔を突っ伏し、ひと時落ち着いて床に就くと、このまま眠り意識を失ってしまいたいのに、それも叶わないほど体から湧き出る寒気。抜け殻となって部屋の中を眺めながら改めて人は自分の意識で意識を閉じられないのだと痛感した。これがいつまで続くのかと思うだけで途方が無く、さりとて横になること以外に何も手につかない。たまに、たとえ発熱があろうと何だろうとちょっとした不調ごときで仕事は休まないとか、昨日まで元気だったのにいきなり当日に体調崩すとかないよね、などとのたまう方を見受けるが、そんな人はこういう胃腸炎の苦しみをきっと知らないだけか、知っていても苦しすぎたその体験を防衛機制かなにかの作用で記憶から遠く消し去っているのだと思う。1.5日かけて復活したもののまだ油ものは口にできないので、とろろそばにした。振り返ると、まだ1歳になったばかりの子供はそれなりに吐いてはいたもののケロッとしたもので、大人2人の苦しみ方に比べれば穏やかなものであった。この出来事を、食欲というものを深く知ってしまったが故の業だととらえて慎ましくありたいと思った。

流行のあとさき

養老乃瀧 松原団地駅前店│店舗詳細│養老乃瀧グループ

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人格形成において影響少なからぬ少年期に某グルメ漫画の影響をつよく受けたために、サシが多い肉は脂を食ってるだけで本来の肉の味でないのだ、赤身こそ最高、的な志向を抱きがちになってしまっていた。スーパーで高額な霜降り肉に蔑みの視線を向けて安価な赤身が多いステーキ肉を買って家で焼くものの、やはりパッサパサでもそもそした食感に打ちひしがれて割り切れないまま酔いどれて眠る夜を何度も経験した。赤身肉は、焼く前の温度管理やら筋切りやら厚みに合わせて加熱時間を変えることやら休ませることやら、熟練してないと上手に焼くのが難しい。何より、同じ品種を同じ厚み同じ重量に切り出した肉であってもその個体差を読み取ってプロは加減をしているのだ。そういう技術や経験や知識を踏まえるという前提をすっぽかして、何事も表面だけをなぞって通ぶったことを言うのは本当に恥ずかしいことだと、ほどよいサシの入ったホンマグロに添えられたわさびをつつきながら反省した。養老乃瀧の看板で養老乃瀧のグランドメニューもおいてあるのだけど、実質は鮮魚と手作りおつまみが中心の手書きメニューをぐいぐい推している。魚の鮮度も申し分なく、コスパも良い。過去に一大ムーブメントを起こしてのち成熟したジャンルが、その土壌を開放して地域に根付く店をつくる機会を提供するなんて、エコと感じた次第。

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口を肥やして腹を肥やさず

 

獨協大学|学生生活・キャリア|学内施設 | 学生食堂・教職員食堂・カフェ

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食べたくても絶対食べられないもの。自分は10代にスポーツをやっていなかったので、朝から晩まで部活等々で体を酷使してやっとありつくご飯の美味しさは、想像するだけで味わえない。部活中に何度も空腹をこらえながら時間が過ぎるのを待ち、学校を出てようやく帰宅して食卓に座って口にした一口目はきっと唸るほどうまいに違いないと思う。だが今やその頃の肉体でもないし、その年代が勤しむようなスケジュールで運動ができるわけでもないので、これは実質食べたくても絶対食べられないものである。就職して以来初めて大学の学生食堂に来てそんなことを考えていた。5個入りと7個入りを選べる唐揚げ丼はその差額わずか50円、これこそ正に学食ならではの価格感である。しかし価格とは裏腹にそのクオリティは、揚げ置きの冷め気味温度でありながらクリスピーな衣にもも肉のジューシーさを併せ持つ味わいで、記憶にあった学食クオリティを大きく凌いでいるのだった。それにしても、人生ではもう二度と味わえない食事が思い浮かべれば無数にある。今食べられるものを真面目にすこしでもおいしく食べられるように考えることは人生の後悔を少なくするコツの一つかと存じ得る。

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離れたくない椅子

のだぴん 西武新宿

ようこそ のだぴんへ

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某口コミ系サイトが掲げるテーマの一つに「失敗しない店選びのため」というものがある。ネットで見て訪問したら想像していたのと違ったというギャップを「失敗」と位置づけているようだ。初めての店なのに張り切って思い込みでええかっこするから後悔するのである。とりあえずビールと1,2皿注文してイマイチだったら20分かそこらで別の店に移るのもそれはそれで楽しかったものだと思うし本当に大事な会合なら下見に行くなり知り合いを伝って情報収集するなりしても良さそうなものとも思わなくもないが、実際にはそうやって不満をどこかになすりつける人が多いのだろう。とはいえ口コミで評価が高ければ多少のことも気にならなくなるならそれも確かにこういったサイトの恩恵かもしれない。また人気店というだけで訪問したことに達成感を得られる人もいるだろうから、食べ物について影響力の高い情報を知ることを実際に味わうことよりも大事にする人はきっといるに違いない。にしても赤の他人の意見を自由な解釈で誰もが参照できるようにしたということはこういったサイトに限らずすごい出来事なのだと改めて思う。ただ自分はだいたいどんな店にいようが楽しく過ごせる人と食事がしたいし、実際そういう人々に囲まれていることが本当に幸せである。

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白い思い出

天丼かえん 大阪駅前第一ビル

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10年以上前の関西にいたころの話。夜通し難波で飲むことになっていた深夜2時ごろ、ビックカメラの前に文字通り半分尻を出して寝そべっている人をみかけた。男か女かもわからない風体の人間が、あまりに動かないので心配になって声をかけようとしたら、通りがかりの小柄でややボロなウェアをまとったおじさんが止めろと声をかけてくれた。いわく、こんなんに親切のつもりか声かけて、あとで何言われるかわからんど、こういうやつには何もせえへんのが一番や。笑いながら自転車で去っていくのを見たあとに、ネオンとネオンの間の闇で尻は、月の光だけに青白く照らされていた。ゆるくざっくりと飲んで過ごしたいときについミナミへ足が向かうのは、そういった脱力感にあふれる出来事に自分のやさしさが試されるような街の雰囲気が気分にマッチするからなのかもしれない。だからなのか、多少は気取った感じで食事がしたいときの自分はミナミをあとにキタへと向かうのだった。すくすくっとたちならぶビルには夜景が見える高層階の店もいくつかあり、地下も地上も建築物がととのっているのか歩くだけでも定規を当てたような直線がつぎつぎ視界にやってくる感じが、心なしか背筋を伸ばしたい気分を後押しするのだと思う。2016年の今、歩き比べるとどう感じるのだろう。

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デバイスレス・デイドリーム

俺の味 名古屋

https://tabelog.com/aichi/A2301/A230108/23006858/

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とあるトラブルで寒空の下に未訪の愛知を長時間徒歩で移動することが決まったこの日、乗り換えで昼時を迎えた駅、御器所を降り地上に立った。広くまっすぐな道と役所がある通りは曇り空も相まってたださみしく、気持ちがさらに落ち込んだところにこの看板が目に飛び込んできた。オールバックの店主が物静かにいらっしゃいと声をかけてくれた店内は他にゲストはなく、オープンキッチンのカウンターのみ。キッチンは明るいが客席はさほどでもなく暗さに戸惑う。奥のほうに行きづらく感じ、一番手前の椅子に座り上着を脱いでカバンを置く。目が慣れてくるにつれ、おびただしい情報量があふれる店内の様子が徐々に認識できてくる。喧しく鳴り響いている音楽が長渕剛であることがようやくわかる。リスキーだと、思ったが引き返して他に行くべき店があるでなし、この空間を堪能することに思考を切り替える。落ち着いて店内を見渡してみると、耳なし芳一の体を経文が埋め尽くしたがごとく、招かざる客と現代社会への厳しい批判、パスタとニューミュージックに対する愛、同郷人への叱咤激励の数々が、きわめて直截的な言葉で店内の貼り紙やメニューや什器類を埋め尽くしている。さらに目を凝らすとそれらは一文字ずつ下書きをもとに書かれていることがわかる。几帳面な店主の人柄が織りなす物語は店内を何倍も広い空間に感じさせる。人の夢に入り込むことが本当にできるならば、この体験はまさにそうだろう。そしてその気性は調理にも現れる。何度も茹で湯を味見しては塩を加え、具のベーコンはソースとは別のフライパンで丁寧に加熱する。すべての局面を見極めるようにして調理は進む。手書き文字としてアウトプットされた店主の内面と目前の店主そのものの実像に乖離はない。そうして提供されたパスタだが、味は実に素朴であった。しかしこれまで私の体験してきた味の基準はここでは意味を為さない。これら店主の心象風景は五感を再定義する。

でっかち頭と2本の足

草加パリ食堂 Herbes | Facebook

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一皿に込められた工夫と料理愛に、心がほころぶお店。ビストロのツボをしっかり込めたカジュアルな料理たちとリーズナブルな価格、しかも提供が早い。まさにご馳走の粋だった。ご馳走とはもてなしのために準備に走り回り山海の幸を集める心を表したという説が好きである。インターネットに流れる情報量が飛躍しつづけている昨今、無限にヒントが潜んでいる気がして一時期集められるだけ集めたグルメブログや某口コミサイトの更新情報を日々チェックしていた時期があった。今となっては、かけた時間の割に何が得られたか疑問だし、そこに答えはなかったように思う。しょせん誰もが無料でアクセスできる情報である。何かを得るには何かを差し出すという真っ当なことに気づくべきだった。馳せて走って、直に目で見ること、知見を蓄積すること、体系的に技能を学ぶこと。良いお店と出会うたびその大切さを再確認する次第。

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