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上あごの味覚(湧水 調布)

熱々のたこやきや揚げ物、鍋の具。ひとおもいに口に入れ、上あごの皮がめくれた経験がある方も多かろうと存じる。めくれた皮の下を、その時見ることは多くままならない。なぜなら目の前にはおいしそうに湯気を上げている食べ物があり、やけども恐れずに口を開くほどに自分は空腹であり、ほとんどの食卓の上に鏡はないはずだからである。食後、その日寝るまでの間、上あごの痛みはひりひりとその辛さを訴えて来る。

そして気づけばいつの間にか次の皮が張ってきていて、繰り返す。

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口にした何かが熱くてたまらないとき、すぼめ気味の舌の上に乗せて、同じくすぼめ気味の唇から息を細く吸い、その温度を下げる。そして、食べごろが近づいていることを上あごはその温度から感じ取り、やがて噛むことを促してくれる。食べるという行為に口という器官は全く無駄がないのだと改めて実感する。

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口内の食べ物の温度を下げる努力をしている時、そのものの香りが鼻まで上がってきてそれもまた味わいがある。たとえば天ぷらそば。温かいそばにのせられた、揚げたての海老天の衣は凶暴そのものである。出汁を吸った揚げたての衣は、熱さの持続性を与えられるからだ。しかし同時に、そのサクサク感を喪い始めてもいる。いつ口をつけるのか、これこそ葛藤だ。正解が見えないのだ。折り合いをつけて一口目をかじる。やはり熱い、口をすぼめ、空気を吸って冷ます。熱さに慣れた頃、意識が香りに向く瞬間がくる。油の香ばしさと鰹節や醤油のコクっぽさ、さらにそば粉の匂いが渾然となった中に七味のわずかな主張。

(新鮮な七味なら唐辛子の熟れたような香りも楽しめる)

一生でその日にしか味わえない、数字や文字では書き残せない唯一無二のバランス感が日々の外食で生まれている。