坂の上の蓋

道玄坂 漁

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蓋付きの丼を食べた機会が殆どない。昔、美味しんぼで日本の丼文化に魅せられた外国人が登場する回があった記憶がある。天丼の天ぷらや、カツ丼のカツや、うな丼のうなぎが、それぞれ蓋によってちょうど良い位に蒸らされるのである、というくだりがあった気がするが、自分はそういう科学が発達するより古くからある器具類がもつ機能性というものに弱い。機能性に情緒が潜んでいる気がする。ゆえに丼の蓋という役割に痺れたしその存在に本当に憧れた。しかしその後、幾度なく丼というものは食べてきた気がするのだが蓋付きのものに巡り合った記憶が本当に2,3度ほどしかない。開ける瞬間の心の昂りを思いうかべるだけで今しも垂涎を止めることはできない。とはいえ役割あってこその蓋なのであって、由来的には大食堂で同じ食事を大量に作り並べるうえや、出前で届けるうえの保温であったりと、本来の機能があったからこそ必要とされた歴史があっただろうと想像する。そういえば合宿で出された昼ごはんの親子丼だかには蓋があった気がするが、それも限られた設備で大量調理を行うゆえの必然だったのだ。オンタイムで温かい食事ができるのが当たり前となった現代、具がはみ出すほどのビジュアルを打ち出すことのほうが丼が丼である理由を果たしている現代。役割なき小道具など文化として残らないのは当然である。だがしかしそこまで気づいてもなお蓋への憧れはとどまらない。いつか絶好のタイミングで蓋付きの丼にありつきたい。