デバイスレス・デイドリーム

俺の味 名古屋

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とあるトラブルで寒空の下に未訪の愛知を長時間徒歩で移動することが決まったこの日、乗り換えで昼時を迎えた駅、御器所を降り地上に立った。広くまっすぐな道と役所がある通りは曇り空も相まってたださみしく、気持ちがさらに落ち込んだところにこの看板が目に飛び込んできた。意を決して扉をひらくと、オールバックの店主が物静かにいらっしゃいと声をかけてくれた。店内は他にゲストはなく、オープンキッチンのカウンターのみ。キッチンは明るいが客席は照明を節約しているのか、妙な暗さに戸惑う。奥のほうに行きづらく感じ、一番手前の椅子に座り上着を脱いでカバンを置く。目が慣れてくるにつれ、店内の様子が徐々に認識できてくる。喧しく鳴り響いている音楽が長渕剛であることがようやくわかる。ちょっとやばい店じゃないのかと、思ったが引き返して他に行くべき店があるでなし、この空間を堪能することに思考を切り替える。落ち着いて店内を見渡してみると、とにかく「文字」が店内の貼り紙、メニュー、テーブル、小物の、隙間という隙間に書き込まれていることに圧倒される。その姿、耳なし芳一の体を経文が埋め尽くしたかの如し。招かざる客と現代社会への厳しい批判、パスタとニューミュージックに対する愛、同郷人への叱咤激励、あらゆる言葉の数々が、きわめて直截的な表現で店内のスペースを埋め尽くしている。さらに目を凝らすとそれらは一文字ずつ下書きをもとに書かれていることがわかる。几帳面な店主の人柄が織りなす物語は店内を何倍も広い空間に感じさせる。人の夢に入り込むことが本当にできるならば、この体験はまさにそうだと断言できる。そしてその几帳面さは調理にも現れていた。何度も茹で湯を味見しては塩を加え、具のベーコンはソースとは別のフライパンで丁寧に加熱する。すべての局面を見極めるようにして調理は進む。手書き文字としてアウトプットされた店主の内面と目前の店主そのものの実像に乖離はない。そうやって高まる期待を背負って提供されたパスタだが、味は実に「普通」であった。しかしこれまで私の体験してきたおいしさの基準はここでは意味を為さないのだろう。目の前に広がる店主の心象風景が、五感を再定義するからである。