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多湿に強い味

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今年最も記憶に残った食事の一つはベトナムの街角で夜中に食べたフォーと焼き飯だった。タクシーでたどりついたのは、十字路の角でわずかな蛍光灯しか照っていないコンクリの薄暗いガレージ的な場所で、調理台と鍋とまな板、野菜と肉と麺が常温で放置された屋台。その前に客席として、プラスチックの長ベンチが5つ6つ、低いテーブルにはビニールにくるまれたミントの葉と調味料。ビールは常温しかないので、冷たいのがほしければ隣の売店で買ってこいという。客席、といっても路上だが、反対側にはガスをつないだ簡易なコンロと中華鍋。

フォーは、麺を丼にいれたら生の牛肉の薄切りをのせ、スープの余熱だけで肉に火を通しているから肉が柔らかくてうまい。ただ、その生肉を切っているまな板は、一度も根本的な洗浄を行った様子はなく赤い肉汁が染み込んで黒ずんでいるのだった。さらに、スープ。ガレージの隅ででかい寸胴に何の肉と骨かも到底わからないような塊がずっと炊かれていた。アクも脂も掬われている様子がなくどんより濁っているそのスープだったが、供されたときにはなぜか透明感があるのだった。その理由はよくわからなかったが、これがまたうまかった。

客席と同じく路上にオンされたコンロでは、中華鍋に油と卵が入れられかきまぜられていた。半袖短パンの調理人はそれを放置してガレージの中にひっこみ、しばらくしてボッコボコにへこんだ炊飯ジャーの内釜を持って出てきた。中はどうみてもカピカピで団子状になったご飯なのだが、それを無造作に中華鍋にいれ、いよいよ鍋を揺らしはじめる。途中、2リットルくらいのペットボトルから得体の知れない赤い油がどぼどぼと注ぎ込まれる。健康への不安がよぎる。また鍋を揺らし全体を混ぜ始める。そして出てきたのは、なぜか一粒一粒に均等に香ばしく色づいた実にうまそうな焼き飯なのだった。酔った舌でもわかるほど動物系の旨味がガツンとやってくる味は、味の素とかなのかもしれないけども、他にはない味を楽しんだ。

一連の様子に、さあおいしいものを作ってやろう、という意志は見て取れなかった。だがけっして投げやりな行為ではないとも感じた。ただ無表情なだけで、手つきは実にこなれている。この人達は、この日もいつもとおなじく客の注文に応じて焼き飯とフォーを作るというただ生業を繰り返している限りなのであって、それを見ている自分の興味のほうがここでは特異なのだと感じた夜。