空きっ腹に海苔

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粉物ローカライゼーション

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流行とは対象が本来広く持ち合わせる多様性を否定する現象でもある。讃岐うどんが流行ったときに我々は歯ごたえのないうどんはうどんではないかのように振る舞ったではないか。

ラーメンとて、博多とんこつの細麺が流行れば、とんこつに関係のないラーメン屋でも太さに関係なくとりあえず固め、もしくはバリカタといっておけば格好がつくと思い、粉臭い麺をもそもそと頬張っていた向きも少なからずあったろうと思う。

しかし世を追うごとに、自分がいかにメディアからの情報を整理して理解した気になっていたか、我が舌が味覚を以て思い知らせてくるのである。

宮崎うどんの釜揚げは、箸で持ち上げて何とか千切れずにいる、といったふるふると頼りない佇まいである。しかし、つゆをくぐらせ口へ運ぶとそのはかない食感が舌を優しく包み込む。どれだけ柔らかく煮たおかゆでも、宮崎うどんの優しさにはかなわない。質量の軽さと柔らかさがつゆの塩気を絶妙に和らげて口いっぱいに広がる感覚は、本来液体であるはずのつゆが、半固形となって出汁の旨み甘みを伝えに来るように感じる。

山梨は富士吉田のうどん。このうどんは反対に、凶暴な歯ごたえに満ちている。風邪を引いた子供を連れて現地の医者にかかっても、消化にいいからうどんをあげなさいとは言われないだろう。なぜなら吉田のうどんはいくら長く茹でても柔らかくなりようがない。みしっ、と歯が沈むその歯ごたえは噛むほどに香り立つ匂いに小麦粉の底力を感じる。つゆの味は表面にしか乗らない。しかしうどん自体にも丁度よい塩気がついているから本来味がないはずのうどんが噛むだけでその甘さや風味が口に広がってきて心地よいのである。

全国区に知れ渡って天下を目指すもよし、地元に帰ってローカルの重鎮になるもよし。