せっかちの瞳に映らない色

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あまねくすべての料理は常に出来たてが最高においしい状態だ、と信じていた。そうとは限らないということを理解したのは、ごく最近のことだった。猫舌なので、自分は最高においしい熱々の状態を味わえない不幸な部類の人間だと思っていたくらいである。

行列ができる人気のとんかつ屋に行ったときのことだった。カウンター10席ほどしかないその店は、並んでいるうちに注文を聞いて全席入れ替え制で客を回転させていくスタイルである。しばらく待ってようやく入店というとき、まず目にとびこんできたのは厨房奥の揚げ鍋の横のバットに、すでに揚がったとんかつが並んでいる様子だった。

これでは揚げたてを味わえないじゃないか?人気店となると行列をさばくのも大事なことだろうからそれも致し方ないことなのか、と少し気落ちして提供を待った。しかし目の前に現れたとんかつは、湯気を立てたその断面を一切れこちらに向けているではないか。

火照りきって内側にとどめきれなくなった肉の水分が断面に滲み出している。さっそく口に含むと、決してぬるくなく、豚肉の力強さが十分伝わる温度はまさに適温なのであった。いままで、熱すぎて味がわからないような出来たてを有難がっていたのはなんだったのだ。

自分はこれまで、「余熱で火を通す」というキーワードを疑っていた。それは、仕事柄いかに調理をシンプルでクイックなものにするかを追求する機会が多かったことと関係があると思う。チェーンオペレーティング的にいかに調理を単純化するかに腐心していた当時の自分には受け入れられない、曖昧で属人的な調理過程だったのだ。味10点、スピード6点のレシピなら、味7点、スピード9点くらいにする気持ちでやっていた。ずっとそういう考えでいたのだから余熱を調理の一環として受け入れる余裕などなかった。

とんかつを油から取り出して3、4分。揚げた直後は行き場を失っていた肉汁がこの間ちょうどいい具合に肉の繊維の隙間に落ち着く。切った直後の断面が薄いピンクになっているくらいだと言うことはない。これがまた、食べ始めるころには落ち着いた色合いに変化する。ジューシーさがピークを迎える。