空きっ腹に海苔

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慣れるより習え

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あるのは知ってるけど、わざわざ食べへんよなあ、と思うメニューが自分には結構ある。和食でいうと豆や昆布のような乾物、ごま豆腐とか茶碗蒸しとか。洋食では、ゼリー寄せやテリーヌとかはあんまり得意ではない。伝統的なおせち・弁当や、クラシックなビュッフェで見かけるようなものといえる。どれも真面目につくろうと思うと手間がかかるものが多い。それだけ人々がおいしいと思うから、手間をかけてでも長い年月残ってきたレシピのはずなのに、印象があまりよくないのは何故か。

手間がかかるがゆえに、パックを開ければすぐに食べられる既製品もよく出回っているのがこれらのメニューの特徴である。というかむしろ、専門店でもないかぎりこのへんのメニューはほぼ既製品だろう。それらのしんどいところは、なにぶん塩気も旨味も強すぎるところである。

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製造されて店に到着するまで、衛生面、味、色、形とあらゆる制約に縛られるのが既製品のさだめである。そのため味が強いのも仕方がないし、加熱殺菌に耐えうるように、流通中に破損しないようにと、舌触りも固めに作られているし香りも図太い。

既製品、大量加工品が何もかもありえないとは全く思わない。たとえば厨房がない、調理者がいない現場で食べる楽しみに一役買うことができるならこれは素晴らしい技術の深化だと思う。問題は大した理由もなくこういった食材に易易と頼る使う側の姿勢だろう。

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教科書的な料理書を見ると、私のそういった、知ってはいるけどわざわざ食べないレシピが丁寧な説明付きで載っていることが多い。手順を知って作ると、手間がかかる分学びにつながる作業が詰め込まれているし、仕上がった味は繊細で深みがある。なぜこの食材にこの調味料の組み合わせで、この手順を踏むのかがわかる味になる。ときにはそのレシピが生まれた文化の背景にまで一気に理解がすすんで、視界が晴れたような気分になることさえある。

そう感じてからは、なんとなく遠ざけてきたメニューでも期待をもって口にすることが増えた。考え方一つで食べる楽しみが増やせて何よりである。